富山に向かう新幹線で暇だったので、文章を書きなぐりました。

こんにちは。ヤマヤタケシです。
チラシの裏の落書きです。
ポエムです。

時間は平等である。
勉強するのも働くのも時間がかかる。
移動にも時間がかかるし、食事を作るのも時間がかかるし、掃除も時間がかかる。
生活レベルは、時間あたりに生産される価値に依存している。

コンビニと個人商店を比較する。
個人商店はいろいろな仕事を1人でやる。
コンビニは分業の極みである。
コンビニは1人あたりの生産力をとても高めている。
技術と仕組みによって高まっている。
レバレッジがかかっている。
コストとしての人件費は時間と人数で計算される。
じゃんがいもとひき肉とパン粉からコロッケを作ろうとすると1時間はかかる。
しかし、コンビニでは冷凍のコロッケを揚げるだけなので数分で完成する。
コロッケ工場から、コンビニの流通網にのって、地域のコンビニに配送される。
さまざまな商品を個別で送るとものすごいコストがかかるが、1台のトラック、1人の運転手で地域をカバーできている。
ここから何を学べるだろうか?
個人商店は非効率であり、コンビニは高効率である。
分業、システム化による、高効率の実現。
1人で切り盛りしている限り実現不可能な領域にある。
酒屋、タバコ屋、弁当屋、駄菓子屋、銀行、宅急便、文房具屋、本屋、チケット屋、納税窓口…
それらが「コンビニ」として統合されている。
昔はそれぞれで店舗があり、それぞれに働く人がいた。
そういう人たちは、コンビニのバイトとして統合された。
実際、それぞれの店があった時、店番は結構暇だったと思う。
仕事を統合すると、ずっとやることがあるのだから生産性は高まる。
コンビニで働いている人は、酒屋、タバコ屋、弁当屋、駄菓子屋、銀行、宅急便、文房具屋、本屋、チケット屋、納税窓口の仕事をこなしているのだ。
しかもスーパースキルの高い優秀な人がすごいスピードで仕事をしているのではなく、普通の人が普通のテンションで働いて実現している。
すごい。
非効率なままでは存続できない。
存続する動機がなくなる。
もっと効率の良い方法があるのであれば、そちらに切り替えるに決まっている。
個人商店を閉めて、コンビニに加入したり、いっそ、コンビニでバイトをした方が収入は大きくなる。
広い視野を持つとはこういうことだろう。
社会としての1人の価値創造の効率が上がると、生み出される価値の総量が増えるのでその地域の生活レベルが上がる。
生活レベルというと抽象的だが、実際は身近なものである。
コンビニが24時間営業しているとか、美味しい食事ができるとか、夜中ぐっすりと眠れるとか…
楽しくうまい酒、音楽で踊る、きれいな水、安定した電力、安定した高速な通信…
人間関係ですら環境のストレスレベルに大きく影響される。
傾向として、快適な環境にいる人たちは、つらい環境にいる人たちよりも穏やかであろう。
現実というのは残酷なものだ。
文明の進歩はすばらしく、数十年前とは風景が変わっている。
特に都会は、著しい。
技術によって効率が上がると暇になる。
みんな生活レベルはまだまだあげたいのだから、せっかく暇な時間が生まれても、やっぱり何か価値を生み出そうとする。
娯楽の価値は突き詰めると終わりがないので暇な時間を全て突っ込んでも足りないだろう。

そんなことを妄想しながら、富山に帰省中です。
そんじゃまた。

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