東京都と富山を右往左往する35歳

こんにちは。ヤマヤタケシです。
今日は誕生日らしいです。人生を振り返ってみましょう。

中学時代、ゲーム会社で働きたいと思ってBASICに勤しんでいました。

高校時代、受験のための勉強などアホらしい!実学が必要だ!とか言いながらゲームを作ってゲーム会社に就職活動をしました。あえなく面接に至らずに落ちましたけど。研究開発職での新卒採用は、基本的に大学卒業以上だったようです。

大学時代、今でいうところの意識高い系の学生とは俺のことです。ゲームを作ったりコンピュータクラブの部長をやったり起業準備会みたいなのに参加してウヤムヤになったりしました。日経新聞を熱心に読んで「日本には起業家精神を持つ若者が必要だ!」とあおられていました。漠然と社長に憧れだしたのはこの頃です。

希望がかなって某大手ゲーム会社に就職できました。ものすごく嬉しかった反面、ふてぶてしくも3年働いたら辞めて会社を作る!なんて思って入社しました。

そして、ふと気づくと勤続10年経ちました。ゲームのプロジェクトは1つ終わると1年から2年くらい過ぎます。いつもスケジュールに追われていました。

意識高い系の自分が言います。

「おいおい、社長になりたいんじゃなかったのかね? このまま、流されるまま定年まで勤めるのかね?そもそも、定年まで勤めたいと願っても浮き沈みの激しいゲーム会社に定年までいられると思うのかね?リーマン・ショックのあとのリストラを見ただろう?」

精神的に疲れる仕事が増えてきたり、ものすごい好きだった彼女にフラれたり、巨大地震が起きたり、原発が事故ったり、東京の電気料金が上がったり・・・。

今こそ、最高にやりたいことをやるべきタイミングに思えました。

会社を辞めました。東京にいるとお金の減るスピートが激しいので、時間の確保を優先するため、富山の実家に戻りました。

富山で手探りました。ブログを真面目に更新したり、日曜大工をやったり、納屋をクラブっぽくしようとしたり、ブログを書いたり、シンセサイザーいじったり、ArduinoでMidi電球を作ったり、iPhone用のゲームを作ったりまだ完成してなかったり、デザインフェスタに出展したりしました。

しかし、何の収入にもなりません。お金は出て行く一方です。当たり前です。好きなことをやっているだけですから。好きなことをやっていればそのうち大金が転がり込んでくるぐらいとでも思っていました。脳にお花畑が広がっています。

年金、健康保険、去年の住民税、食費、ガソリン費、ケータイなどの支出が止まらない中、定期収入が止まりました。予想以上に追い詰められた気持ちになりました。頭ではわかっていましたが、その状況になると冷っとします。無職、無収入、ニート・・・。社会的地位のなさ、将来の展望のなさ・・・。おえー。はっきり言って、定期収入なしでは生きられない体になっていました。

大学から新卒で好きなゲームプログラマーの仕事に就けたので、お金のために働く意識はあまりありませんでした。が、精神は定期収入に依存しきっていたのです。

無収入で収入の予定のない期間が2ヶ月を過ぎたころ、収入になる確信がない活動よりも、収入が約束された活動を優先するようになりました。そして、どのみち働くなら時給が高い方で働きます。未経験の業界に飛び込んでも、初任給と同レベルからのスタートいうのが現実をみると、やはりプログラム能力を活かすことにしました。

幸運にも、縁がありプログラムの仕事を得ることができました。富山の会社で派遣プログラマー、自宅でフリーランスプログラマー、そして今は元の職場で契約社員プログラマーをやっています。本当に、関係者の方には感謝するばかりです。

とはいえ社長にたいするあこがれは消えたわけではありません。右往左往することで、何人かの社長さんと話す機会を得ました。サラリーマン時代にはなかった経験です。現役の社長さんと話してみてわかったことは、社長は社長の数だけスタイルがあります。哲学、方針、生き様をひっくるめてスタイルです。自分のスタイルが許されるのは自分で責任を負っているからですね。どの社長さんもやりとげる覚悟、関係者に対する感謝、仕事に対する情熱は共通していました。漠然とした社長像に実例が加わりました。

「社長になるには株式会社を作らねば!」と思っていましたが誤解でした。

ある社長曰く、「会社は必要を感じた時に作るので遅くない。個人事業主でも10人以上の従業員を雇っている人もいる。社長1人の株式会社もある。株式会社は個人事業よりも維持に金がかかる。それを超えるメリットがあれば作ればいいし、なければ金の無駄だ。自分でいろいろ調べて安く株式会社を作ったが、今からやるのならばやらない。売上が上がってから、法人のメリットが生まれてからお金を払って設立してもらう。」と。

ちょっとググると、山口会計事務所がヒットしました。それによると、「月に粗利で60万円以上稼げるのであれば、法人のほうがいい!」(引用)らしいです。資本金が1円になったとはいえ、会社の維持には金はかかるようです。

富山に戻ってすぐは、時間の確保が優先するため、自給自足は無理にしても、最低限の労働時間で生きようしました。自分でやることでブログのネタになりますし充実感もあります。しかし、所詮素人。質が悪いし効率も悪い!あまりに労多く見返りが少ないのです。日本は、安めのバイトであっても軽自動車に乗り牛丼が食べられます。自分で全部やろうとしても自動車もお肉も手に入らないでしょう。社会的分業は偉大です。

幸運にも、自分にはプログラムのスキルと経験があります。これにを活かすと比較的高い時給が期待できます。1度しか使わない会社設立の知識を勉強するよりは、プログラムのスキルを磨いたり、プログラムを求めている見込み客を探したり、プログラムスキルの活かし方に知恵を絞ったりする方が儲かるでしょう。餅は餅屋でした。分業からのプロフェッショナル化での効率化もあります。大規模化だからこそシステム投資が可能になります。それらにより、1つのコストが劇的に下がります。

そんなわけで、DIY熱は冷めました。

まだ燻っていますが、少なくとも自分で会社設立の本を読んで、自分で書類を作って会社を設立する気はもうありません。ネットで調べると会社の設立サービスもたくさんあります。たとえば、新★会社設立.jp だと206,800円です。仮に月の粗利が60万円あるなら20万円の投資は楽勝でしょう。まして、それだけ売上があれば暇じゃないでしょう。

社会的な分業がどんどん進んでいます。ネットにより場所を超えてサービスのやりとりが出来るようになりました。自分のコア事業が稼げているなら、利益の最大化のために使えるサービスは使うべきですね。

なんだかDIYからの反動で、分業社会バンザイになっていますが、落とし所はケースバイケースで探ります。

そんじゃまた。

東京都と富山を右往左往する35歳” への1件のコメント

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