物作りの果て

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捨てられない症候群である私は、物に囲まれて息苦しく生きているのです。
そして、あろうことか、さらに物を作ろうとしているのであります。
さらに息苦しくなることでしょう。
結局、捨てられないのですから。

周りを見渡しても、物を製造している人だらけです。
むろん、自然は厳しいので、物は、だんだんと劣化し、風化し、朽ちていきます。
だが、現代の製造能力を持ってすれば自然に朽ちていく速度より早く、この世界を物で埋め尽くすでしょう。

果たして、作った物をちゃんと活用できているのでしょうか?
もっと、使った方がいいのではないでしょうか?
昔はゲームの供給が少なかった時代は、しゃぶり尽くすかのように遊びました。
トランプは、汚れ具合や曲がり具合で、そのカードの絵数が分かるぐらいに遊びました。

物が朽ちていくのと同じ速度で、物を製造することがよろしいのではないでしょうか。
とくにがんばって浪費することもありますまい。
ハリウッドの映画のように、莫大な予算のある実写を中心とした映画は惜しげもなく、ビルを爆破し、車を破壊します。
余った時代だからこその、楽しみでありましょう。
余っている製造能力の有効活用の一つでしょう。

しかし、どうにも日本人は働き過ぎだと感じています。
製造現場における効率化の果ての人員削減。
よかれと思って進めたあげくの雇用の現象です。
もちろん、いいことでしょう。
その会社の業績が上がれば、株主は高い配当金か、値上がり益を受け取ることができます。
なぜ今も、時給換算で安い働き方をする人がこんなにも多いのでしょうか。
その答えは、株を持っていないからです。
もしも、自社の株を持っていれば、どれだけでも効率化にいそしむことができます。
しかも、自分の雇用がなくなっても配当金があります。

効率がすすむ現代社会で生き残るには、株主になる必要が、あるような、ないような・・・。

わからーーん!

そんじゃまた。

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