ゲームってぎりぎりが楽しいんだけど、ギリギリって人それぞれだから

こんにちは。ヤマヤタケシでございます。
タイトル以上の内容はありません。
なんとなく、ここから先、文体変えます。
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ゲームってのは、ギリギリにできれば楽しい状態になるけど、個人差があるからギリギリの状態にもっていくのは難しいし、維持するのも難しい。
必然的にギリギリになるような仕組みが入ってこそ誰でもギリギリになれる。
難易度を選べるゲームとかは、まあ、そういう意図なんだろうけど、自分からイージーを選ぶのも負けた気がするし、かといってハードを選んでもなんにも面白くなかったりして、あんまり好きじゃない。妥協感があるし、誰感覚のイージーじゃい?とつっこんだりする。
AIというか仕組みで難易度が調節されるゲームもいろいろあるらしいけど、そういうのが成功するのがエレガントだ。
まあ、そのAIのパラメータ調整も大変だろうけども。
個人差はどうしてもあるけれども、ターン性のゲームとか時間間隔や身体感覚の個人差が顕在化しないからバリアフリーだ。
なんか、はっきりくっきり言い切る度胸が必要なんだろうけど、みんな自分の感覚を信じすぎててつらい。
いや、俺ももちろん、自分の感覚しかわかんない。
でも、他の人が同じ感覚を持っている自信は全くない。
養老先生曰くバカの壁だよ。

おっと、グチっぽくなってしまった。

リアルタイムのゲームなんかは誰かの時間感覚に合わせて作られるから、その人の感覚と同じくらいじゃないと早すぎ!遅すぎ!っていう不満が生まれて、感覚が合わない人たちは去っていく。
八方美人でいたい自分にとっては誰かを切り捨てるのがなんともつらい。
もちろん、嫌われない代わりに好かれないのもつらいんだけども。
そういう意味でターン性というか時間感覚が問題にならないゲームってのは良いのです。
FPSでアドレナリン全開!ってのも楽しいんだけど、まあまあ遊べるんだけど、つってもFPSで遊べる人ってのは、反射神経とか空間把握能力とか状況を脳内に作る能力とかいろいろ優れているから一種の選民であろう。

脳みそが一度に認識できる要素は7個っていう理論がどっかにある。それにしたって5個の人もいれば10個の人もいるだろう。
だから、ゲームで一度に処理する必要のあるゲームの要素と脳みその把握できる要素の数があってないと面白くない。
7個把握できる人が3要素のゲームだと退屈だし、要素が10個のゲームだとムリーってなる。
せっかくゲームを作るんなら多くの人に遊んでもらいたいけど、自分の把握能力が7個だったら6,7,8個ぐらいの要素のゲームしか面白くできない。
いや、いいわけだな。
さくまあきらって人のインタビューによると桃太郎電鉄の調整に「どんちゃん」を観察して大衆的なゲームを作った。

「どんちゃん」がゲームを作れるとは思えないけれども、その感覚はまさに「大衆的」で、彼を羅針盤に調整していった話ってのはものすごく参考になる。
羅針盤が自分の中にあるのかどうか、あると思いたいけれども、けっこうひねくれていると言われしまうので不安。
改めて先のURLの記事を読んだけど、本当にためになる。
仕事中は頭のいいフリを頑張ってしているから、遊びの時くらいはバカになりたいし、ゲームは遊びなんだから楽に楽しませて欲しい。
あたりまえだけど、ゲーム業界ってのは、ガチ勢って呼ばれる人たちが多い。そりゃそうなんだけど、エンターテインメントってのはエンジョイ勢向けでいいと思うんだよね。
ガチ勢はもちろん声も大きいし、論理的で説得力のある要望とか出せるから引っ張られるんだけど、エンタメってのはバカになってやるもんだろ。
ゲームを作るなんていう知的労働の結晶みたいな仕事はもちろんバカじゃできないんだけど、遊ぶときはバカにならないとさぁ。
バカなことを現実でやると投獄されるから、ゲームでやるんだよな。

やっぱりグチっぽくなってしまったじゃないか。

まあ、自分のブログだから好きなこと書いてりゃいいじゃん。
ゲームやるときはバカになりたい。でも、エンタメはバカには作れない。
自称頭のいい人な俺は、バカをバカにしないでちゃんと観察しないといけない。
まあ、感じ悪い人ではある。

まあ、このへんで。

そんじゃまた。

(追記)
完全に真夜中のラブレター現象になっているから、補足します。
だから、時間感覚の個人差の点では、リアルタイムのゲームよりターン性のゲームの方が有利です。
自己満足的にゲームを作るなら、自分の時間感覚が世の中の何パーセントぐらいに属するのかを知っておきたいです。
バカな人を相手にゲームを作るのではなくて、ゲームで遊んでる時ぐらいはバカになりたい普段は頭の良い人向けにゲームを作りたいです。

そんじゃまた。

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