クリエイティブってやつの線引き

こんにちは。ヤマヤタケシです。
先ほど、プランナーだった彼との議論が打ち切られて、放り投げられて欲求不満です。
彼が放り投げたのは、俺がの言動が彼の現実から飛躍したことがトリガーでした。面白かったので残念だし、無念です。

議論が中途半端になったのでメモを残します。ネットは忘れないのです。そして、俺があとから読んで赤面すればいいでしょう。

さて、ゲームはどこまでゲームなんでしょうか?アーケードゲームであれば、箱もゲームでしょうか?箱や作る板はゲームでしょうか?それを止めるネジやボルトはゲームでしょうか?

ちょっと視点を変えると僕はどこまで人間でしょうか?散髪のあとの床に散らばる毛は僕でしょうか?長くなって切り落とした爪は僕でしょうか?切ったあとが僕じゃないとすれば、切る前は僕でしょうか?

突き詰めるとアイデンティティはどこに宿るのでしょうか?俺のもそうだし、ゲームだってそうです。製品としてのアイデンティティはいつの間に宿るのでしょうか?

まあ、そんな攻殻機動隊のパクりみたいな酔っ払いの与太話ではあるのですが、クリエイティブの線引きの話として面白いのです。

アイデンティティは難しい言葉なんですけども、例えばゲーム会社はどこまでゲームを自分で作ればいいのでしょうか?全部?全部は現実的ではありません。けど、全部作りたいという気持ちは大事だと思っています。

どこまで自作するのか?が最近のテーマです。なんでも外注できる時代です。ネジやクギはもちろん、ゲームそのものやプロデュースや、営業や労働力や、あれやこれや・・・と金で手に入らないものはないのか?というくらいです。

しかし、金が欲しければ外注ばかりじゃいけません。なんせ、金が欲しいのであって金を使いたいわけではないのですから。そこで出てくるのが費用対効果です。自分で作るべきか?外注すべきか?です。つまり、自分は何を提供してお金を稼ぐのか?という問題にいきつきます。

うーむ、どうにも回りくどい。言いたいことをスパッと言いましょう。だから、議論が終了してしまうのです。

ゲームを作るなら、どこまで自分がやるのか?ってやつです。やれるだけやる覚悟を持つ!です。

おもろいことを思いついて、とはいえ一人で出来ない仕事をどうやってやるのかという問題です。一人で徹夜しても、休まずやっても出来ないことがあります。

だったらどうするか?諦めるのか?

俺の主張は「失敗してもしょうがないけど協力してやろうじゃないか!」です。

自分でネジクギが作れなくても調達ができればよしとしましょう。仕様を満たしたネジが調達できないならば、自作するしかないでしょう。場合によっては自作も厭わぬ!というのがクリエイター魂です!

と、いいたかった九州の夜でした。

珍しく、クリエイター寄りな気分です。

そんじゃまた。

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