こんにちは。ヤマヤタケシです。
35歳にもなって自分のキャリアプランというか人生プランをうじうじ考えるのは、独身だからでしょうか。何一つ確信を持てぬままに、漂っています。
さて、キャラが違う文章を書いたりします。ソフトウエア技術者と名乗りつつも、狭く深いスペシャリストと広く浅いゼネラリストって結構違うよねとか思いながら書きました。
それではどうぞ。
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人材をゼネラリストとスペシャリストに分類すると、費用対効果はどうなるのだろう?
時間は有限なので出会える体験、覚えられる知識には自ずと限外がある。
そのため、広く浅い人間になるのか、狭く深い人間になるのか、あるいはそのバランスについて悩むことになる。
今の世の中の分業化は著しく、しかも分業の果てに単純な作業は機械が賄うようになっている。
医者はスペシャリストだけど、小さい開業医は医者のなかでもジェネラリストで、でかい病院の医者はよりスペシャリストだ。
私は医者じゃなくてプログラマーだけど、そのあたりのバランスをどうしたものかと考えている。
経営者の気持ちになると、その人材が一年間でどれだけ価値を発揮したのかと、その稼働率が気になる。
傾向でしかないけれども、スペシャリストはその力が発揮できるときは価値が高いが、ゼネラリストよりは機会が少ない。
ゼネラリストはスペシャリスト程の質や速度はでないけれど、色々なことをそれなりにこなすだろう。
そう考えると、優秀なゼネラリストを正社員として雇って、スペシャリストを期間で雇ったりするのが効率が良さそうだ。
スペシャリストは色んな所を渡り歩いて同じことをやり、ゼネラリストは同じ場所でいろんなことをやるのだ。
先の病院の例と同じく、大きな企業であれば専門的な仕事でも安定して存在するので、同じ場所で同じことをやることも可能だろう。
私自身の生き様を振り返って見るに、色々なことに衝動的に手を出しながらなんとなく、プログラマーとしてまとまっているので開業医くらいのゼネラリストかなと分析する。
ゲームプロジェクトの立ち上げ当初は、実験的で予算もしぼってい、少人数なので広く浅いゼネラリストが重宝がられる。
成功が見えてきているプロジェクト育てば、スペシャリストの動員により開発を加速させる事ができる。
どちらかというと、新しいことに挑戦するのに、燃えやすく冷めやすい傾向がある。
今思いついたけど、「立ち上げ系ゼネラリストプログラマー」という肩書はなかなか良い。
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そんじゃまた。