こんにちは。ヤマヤタケシです。
新しい価値とは何か?
そんなことをもやもやと考えている人生です。
工学部の研究室だったり、R&Dな部署にいたりするとそういう「もやもや」を取り扱っていたようです。
あんまり、「もやもや」だと思わないで生きてきましたが、「もやもや」なんだったんだなぁと。
もやもやなんですけど、手を動かすときにはもやもやしてると、手が止まるので誰かがはっきりと大きな声で音頭をとってくれました。
ありがたいことです。
じゃないと、動けませんし。
そんなこともわからずに、それって「もやもや」じゃないですか!
とか昔は若干キレ気味に言ってました。
若いですね。
もういいません。
もう、オッサンなわけですよ。オッサンにはオッサンなりに「もやもや」を直視することを楽しんで仕事をしないとね。
そんなわけで「新しい価値」って話です。
人間のDNAは変化がゆるやかだそうです。逆転写RNAってのもあるらしいですし、遺伝的アルゴリズムの突然変異もあるでしょう。しかし、ビジネスが相手にする人類というのは1万年前からなにか変わったんでしょうか?
変わりましたとも!
法律、社会保障、医学、教育制度、宗教、哲学、書籍、活版印刷、蒸気機関、原子力発電、量子力学、半導体・・・。
すべてDNAの外の話です。人間そのものは変わっていないです。むしろ、視力は下がるし、少子化だし、劣化してますね。戦前の日本男子は立派だったのではないかと思います。
人類じゃなくて、人類の叡智とやらが増えたのです。技術が進んだのであって、人類が進んだわけではありません。
ぶっちゃけ、人類の無意識がつながっているとか、あの理論は間違っていると思います。
人類は変わってないです。結局のところ、三大欲求やらマズローの五段階欲求やら無意識やら利己的な遺伝子とやらに操られているのが人間というものでしょう。
この言葉も操られているので出てきました。
えーっと、そうそう、だから、「新しい価値」の話です。
「新しい価値」の何が新しいのか?
技術です。
人間ではありません。
受け手ではありません。
そもそも「価値」が一体どこで生まれるのか?
脳内です。
アドレナリンの分泌です。
受容体の電気的反応と化学反応の連鎖です。
で、新しい科学的反応を作るには人間の脳をいじらなきゃいけないので、現実的ではありません。
マウスの脳に電極刺して気持よくするのができたとして、俺の脳に電極を刺すのはまだ早いのです。
Oculus被って、ヘッドフォンして、USBオナホを装着した、オリエント工業の製品で、最高のバーチャルセックスをやっている場合じゃありません。
なんだっけ?
「新しい価値」を作るにはどうすればいいのか?です。
結構近い話になってきている気がします。いや、エロ本がなくても、春画で自慰してきた日本人の正統進化だと思うのですが、そういう話じゃないです。
新しい価値を作るには、新しい技術を取り入れるのが手っ取り早い!と言いたかったのでした。
新しい技術によって、妄想だったものが実現されるのです。価値が具現化されるのです。
脳内で再生される時点で気持ちよくなっている説もあるので、全ての物事は最低2回生まれています。脳内ワールドと、現実ワールドの2回ね。
作る人は想像して脳内で気持ちよくなったあとに、わざわざみんなのために具現化してくれてありがとう。
ってことなんでしょう。
アートってやつは。
そもそもなんで「新しい価値」を作ってんだ?俺たち。昔の生活を粛々と送ればいいじゃない。アメリカのどっかにいるひとたちみたいにさぁ。
新しい価値は魅力的なんです。
新しい価値は贅沢なんです。
贅沢は儲かるんです。
贅沢なのでコストは度外視なんです。
贅沢をするのにいちいち原価を考えたりしないでしょう?
そんな発想にいたったら贅沢感がなくなります、台無しです。
ファミコンが面白そうだったし、スーファミだって、プレステだって・・・。
そうそう、新しい価値を作るんです。
新しい価値の「新しい」は想像を超えたものではなく、今までは「想像」でしかなかったものが実現されたものなのです。
ドラえもんで大体の価値の想像は終わっているのではなかろうか?
今は、それらがどんどん擬似的に実現されているターンですね。
Oculusと動くカメラとインターネッツをくみあわせれば、ドアみたいな気分にはなれます。
マジモンでそこに移動するにはまだ技術が足りないでしょうが、空間を無視する量子のスピンがすでに発見されているので可能性は感じています。
翻訳コンニャクみたいなのも、なんか、そろそろできそう・・・。
まあ、そんな日々を頑張って生きていきましょう。
お気づきかもしれませんが、酔っ払ってブログを書きました。
そんじゃまた。